橋田 建二郎

Kenjiro Hashida

橋田 建二郎
Kenjiro Hashida
「寿司のはし田」 オーナーシェフ

グローバルな思考で世界をネットワークする寿司職人

寿司屋の2代目として生まれたものの、親に反発して一時はアーティストを目指した橋田シェフ。路上アーティストとして活動するも挫折し、「自分にできることは寿司を握ること」と、父親の店に戻ります。

そんな橋田シェフのキャリアを変えたのは、当時増えつつあった外国人や政治家のお客様の存在。職人というよりも、もっとグローバルに世の中を見る存在にならないといけないと痛感し、22歳から2年間、アメリカへ留学。様々なことを地球規模で思考するマインドを備えるようになりました。

2013年にはシンガポールに移住し、「はし田寿司シンガポール」をオープン。異国の地で外国人という立場で、“日本人で寿司職人の自分”ができることは何かと考える中、日本の各県とのイベントやコラボレーションが始まります。

その中で気がついたのは、本気の物づくりをしている生産者は目がキラキラしている、ということ。橋田シェフ自身も、今後は寿司職人というカテゴリーにとどまらず、違うジャンルの料理にチャレンジしたり、シンガポールで培ったグローバルなネットワークを活かして、様々なことに挑戦していきたいと語ります。

まぐろの寿司

CHEF'S VOICE:
“寿司の国・ニッポン”がつくる魚は世界で勝負できる

シンガポールだけでなく、いろんな国で寿司を握らせてもらう機会がありますが、地元の魚を使っていると、「こんなレベルの魚しかなくてごめんね」と現地の人から言われることがあります。僕からしてみると、十分フレッシュで美味しいのですが、外国の方には“日本の魚=高品質”という強いイメージがあります。

つまり、日本の魚はすでにブランドになっているのです。日本発のクラフトフィッシュも、一度エンジンがかかってしまえば、外国で大人気となる可能性は大いにあります。

“寿司の国・ニッポン”が“美味しい魚をつくるシステム”さえ構築してしまえば、国内だけでなく、低コストで作れる海外で陸上養殖をしたり、システムそのものを外国の企業に販売することもできるでしょう。

外国の方たちが持つ、“クリーンで高品質な日本の物づくり”というイメージを武器に、魚の分野もどんどん海外で勝負していくべき。シンガポールでネットワークを持つ料理人として、日本の生産者さんと一緒に挑戦していきたいと考えています。

PROFILE

HashidaKenjiro
橋田 建二郎
Kenjiro Hashida
「寿司のはし田」 オーナーシェフ

東京・勝どきの「寿司のはし田」の長男として1979年に生まれる。調理師専門学校エコール辻東京を卒業後、アメリカ・ロサンゼルスのUCLAに語学留学 。2011年から1年間、上海で働く。2013年4月に「はし田寿司シンガポール」をオープン。日本の数々の県とイベントやコラボレーションを実施。2018年からはフランスのシャンパーニュメゾンKrugのアンバサダー(シンガポール)を務めている。2021年には「寿司のはし田」(勝どき)をリニューアルオープン予定。